アコモシ(私たちの大地)
NPOナショナルトラスト・チコロナイ理事長/平沼アイヌ文化保存会事務局長
貝澤 耕一

 私たちの先祖(アイヌ民族)が最後の天地としたアコモシは、数百年前までは昼間でも薄暗い大木の生い茂った原始林には澄み切った水と空気、採っても採りきれないほどの木の実や山菜、獣や魚、そんな島で生活に必要な物の恵みを受け何不自由無く楽しく生活していた事だろう。

 その島の先住民族であるアイヌ民族との話し合いや約束事いまだかつて一度もなされたことはない。勝手に約400年前(1604年)、徳川家康が松前藩にアイヌ交易独占権を認めた。私達の先祖はこの不公平な交易などに不満をもち、コシャマインの戦い(1457年)、シャクシャインの戦い(1669年)、クナシリ メナシの戦い(1789年)等で抵抗したが指導者が打ち首、毒殺され、ことごとく敗北に終わった。
さらに、1821年放任・非同化政策を改め、教化保護・同化政策を取り、さらに1856年、日本語を習熟させ、同化を強制する。その後、風習・習慣・信仰等を禁じ、1899(明治32)年、北海道旧土人保護法を公布、天皇の赤子として農民に仕向けられ狩猟民族であるアイヌ民族の生活は打ち砕かれた。

 国策の為、天皇の為、開拓と開発の名のもとに二百年も経たないのに、私たちのアコモシ(北海道)をよくもこれだけ壊してくれたと思わずにはいられない。アイヌ民族を犠牲にし、開発と開拓で突き進んだ北海道は、海岸や川岸がコンクリートで固められ山々は荒れ放題、子孫にこんな物を残すべきではない。地球上の人間は、元々周りの自然に生かされている事を知っていて、それらに感謝し、大切にして生活していたはずなのに、いつの間にか、自然をコントロール出来ると錯覚したのではないか。

 百姓の家に育ち、その仕事を継いだ私は、山が荒れ、川や海が汚れ、そこに棲む生物が減っていくのを見て来ている。このままでは今に人間も同じ事になるだろう。

ある82歳のお婆さんが「今の若い人たちは大変な事になる、お金さえ出せば好きなものを食べていれる、その為に体をこわしている人もいる。もっと野山の物を食べなくては、第一食べ物か無くなったらどうするのだ。」と、私に話した。

しかし、今はその事を学ぶ所も少なくなっている。大自然の北海道と言われているが、人間の手が加わっていない所は無い。そんな事を私が感じているとき、1994年、何か出来ることはないですかと申し入れてきた大阪の「緑の地球ネットワーク」と、その会員の武田繁典さんの協力で「ナショナルトラスト・チコナイ」をスタートせる事が出来た。
趣旨を「アイヌ民族がかつてその恵みを受けて暮らしていた自然林を再生、保全し、それを後生に引継ぐことにより、自然と人間の関わり、アイヌ文化を学と共に、環境の保全を図る事を目的とする。」として。

寄付を募り山林を買い取るが、寄付者には山を散策する権利以外は何も無いとの条件で、全国に呼びかけ今日までに約20haの山林を買い取る事が出来た。

その山は皆伐された山や、落葉松を植林したが放置され荒れた山と、私たちの手で助けないと健全な森になるには時間がかかる山ばかりだ。その為に会員や、関心のある人を募って春の連休には、植林と森の手入れ山菜パーティ、秋にはドンクリ植えなど森の再生を願っての作業を行っている。参加者はいつも20人ほどだが、本州や外国からの参加者もあり作業は二の次で交流の場となっているかも知れない。
しかし、森作りの夢は皆同じだ、200年後に大木の森となり子供たちが楽しく遊んでいる事を願って・・・・・・

貝澤 耕一(かいざわこういち)
NPOナショナルトラスト・チコロナイ理事長/平沼アイヌ文化保存会事務局長

北海道沙流郡平取町にてシケレペ農場を経営。
平取ダム建設予定地でのアイヌ文化に関する調査において「アイヌ文化環境保 全対策室」指導員を勤めるとともに、2005年5月に開かれたユネスコ・国際連 合大学共済の国際会議で「川とアイヌ文化」を発表する。また8月開催の「平 取町・二風谷フォーラム2005」事務局長、9月には、「森林と木の文化フォー ラム」(東京大学北海道演習林主催)にて講演を行うなど、アイヌ文化の発信 と北海道の自然保護に奔走している。



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