「東大演習林主催 森林と木の文化フォーラム講演〜木の文化は日本のこころ〜」
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籔内佐斗司/彫刻家
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はじめに) |
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籔内佐斗司と申しますのは芸名です。本名は「籔内直樹」と言いまして、「籔のなかのまっすぐな樹木」という意味で、生まれながらに木とは切っても切れない関係にあるようです。 | |||
今日は、酒井先生のご縁で、「わが国における木の文化」について、お話をさせて頂くことになっています。確かにわが国の歴史を振り返れば、溢れるような森林資源を背景にして、世界でも有数の木の文化を生み出してきました。ということは、とりもなおさず木を浪費し続けてきたということでもあるわけです。その結果、森林資源の枯渇が言われて久しくなります。また高度経済成長時代に、石油を原料とする各種合成樹脂によって「木もどき」の商品を大量に安価に生み出されることによって、木材加工に携わっていた木の職人たちの仕事を奪い、木によって育まれてきた私たちの文化そのものが存亡の瀬戸際にあるといえます。
「わが国の木の文化」の現状を語ることは、「日本文化の危機」を語ることにほかなりません。 |
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1)思い出さねばならぬこと |
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私が子供の頃に、アメリカ帰りの人から聞いた話で、向こうの友人たちと郊外の森へ行った際、どの木の名前を尋ねても「パイン」か「メープル」としか言わなかったということです。彼らが、生えている木に対してほとんど興味を持っていないことにたいへん驚いたという話を聞きました。たしかに40年くらい前の日本人なら、針葉樹は松、杉、檜、サワラ、槇など数種類の判別はできますし、広葉樹なら欅、樟、椎、ぶな、桑などはたちどころに判別できたと思います。
しかし、今の都会に住む日本人で、とくに子供たちに木の種類の判別は、殆ど絶望的ではないでしょうか。 西行が読んだ「願わくは、花のしたにて春死なむ、その如月の望月のころ」という歌が、私は大好きです。日本人の桜に対する思い入れは、特別だと思っていました。ところがこんな話がありました。 私の友人に、東京の下町とパリを半年ごとに行き来していたフランス人の老彫刻家がいました。数年前のある日、彼がひょっこりやって来て「パリに帰る。もう日本には戻ってこない」と言いました。理由を尋ねると、彼の答えはこうでした。「自分のアパートのそばに大きな桜の木があって、毎年4月になると見事な花を咲かせ、春の訪れを知らせてくれ、日本にいることの喜びを感じさせてくれていた。先日突然、地主がその木を切り倒して駐車場にしてしまった。近所の住民から寄せられる落ち葉と毛虫の苦情に嫌気がさしたのだという。自分はそれを聞いて、もうあの町に住む気がしなくなった」と。私には、彼を引き留める言葉が見つかりませんでした。 桜の樹齢は、ひとの一生とよく似ているということを聞いたことがあります。街路樹や庭木として植え替えるには15〜20年くらいの順応性の高い時期のものがよく、30〜50年くらいのものは、もっとも活力があり花を一番たくさんつけ、60年以上は老木となり、病気や虫害を受けやすくなる。老木の幹にこぶこぶや苔が生えているのは、人でいえば肉腫や皮膚病のようなもので、免疫機能が落ちた木だということを聞きました。まるで人の一生を見ているようです。 毎年春にみごとな花をつけてくれる桜の樹を見上げながら、日本人は今年も無事に春を迎えられたことを感謝して来たのではないでしょうか。落ち葉や毛虫がいやで、桜を切り倒してしまうひとびとの感性を悲しくなるのは私だけでないことを祈っています。 昨日、東大の演習林のなかでとても美味しい湧き水を呑ませて頂きました。ほんとうにおいしかったです。そこで、水についてのお話です。 |
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2)季節 |
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日本の食文化の特徴は、「旬」と表現される「新鮮さ」にこだわることに尽きると思います。「旬」とは「十日間」を意味し、「旬の味」とは、ある季節の十日間だけの味覚を大切に慈しんだのです。そして、その味覚は、豊かな山と森林によって浄化された水に負っていたことは論を待ちません。長い期間熟成させた中国の乾物や保存食の多様さとはみごとな対比をみせています。
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3)芸術 |
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外国のひとに、日本を代表する芸術表現として紹介できるものを思い浮かべてみて下さい。お茶、お花、お香、書、浮世絵、水墨画、仏像、歌舞伎、日本舞踊、数寄屋建築・・・。いずれも木、あるいは植物系の素材を用い、それらの主題を抜きにしては語れないものばかりで、まぎれもなく日本のこころを表現してきたものです。
さて、私が勤めております東京藝術大学は、国家の予算で運営される数少ない美術と音楽の専門大学ですが、実はこの組織のなかに、いま申し上げた芸術表現を専攻するコースがすっぽり抜け落ちているのです。このことを申しあげると、大半のひとは意外に思われることと思います。 |
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もちろん伝統芸術に携わる人たちが、民間のちからで伝承し国際的な評価を得てきた逞しさを私は高く評価したいと思います。と同時に、古来より日本のこころを表現してきたこの領域を、己の中に取り込む努力を怠ってきたわが母校の歴史を憂えます。
世は、「グローバリゼーション」だ、「世界標準」だのと喧しい限りですが、自分たちの足もとすら固めないで、一体何が出来るのでしょう?私は、「木の文化は日本のこころ」の思いを胸に、こうした分野を、わが国独自の健全なアカデミズム、ことばをかえれば「道」の復活を目指して努力したいと思っています。 |
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4)宗教 |
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中国では「天」をgodと翻訳し、「神」はgodではなくspirit(霊)の一種になるそうです。私もここでは、古代の「神々(かみがみ)」をspiritとして考えてまいります。 人とものとの関係は、その精神性に強い影響を与えます。よい石材を産する地域では石に絶対の信頼を置く文化が育ちます。土をすべての根源とする文化もあり、牧畜や狩猟が盛んな国では皮革をこよなく愛します。そして木や草花に恵まれたわが国では、身の回りのものから造形表現まで徹底的に植物素材にこだわり、それらに安らぎを覚える精神文化が育ちました。 |
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5)景観 |
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かつてドイツ国籍の友人に、「日本の街並みには歴史観がまったく欠如している」と指摘されたことがあります。私がB-29空襲の話をしたところ「破壊したのはアメリカ軍かも知れないけれど、今の街を造ったのは日本人だろう?」「わがドイツの街並みは、ヨーロッパの一地域の歴史的景観として大切に保存しなければならない。これはドイツ人の責務なんだから。」といわれ、ぐうの音も出ませんでした。
第二次世界大戦の末期、ドイツの大都市の多くは、連合軍による爆撃と市街戦で壊滅的な打撃を受けました。歴史の都ニュールンベルグの90%は瓦礫の山と化したといいます。しかし戦後、行政と市民の地道な努力によって中世から続く街並みの復元が行われ、小さな横丁の一軒一軒を再現し、並木の一本一本までもとの樹種を植えたと聞きました。いま彼の地を訪れる観光客は、街並みが戦後に再建されたものであることに気づかずに中世ドイツの雰囲気を満喫しながら散策しています。同じように連合軍による焦土化作戦のために、わが国も東京、大阪の大都市から穏やかな地方都市までことごとく焼き払われたわけですが、戦後のわが国の無計画で野放図で安直な再建にくらべ、歴史的景観に対する愛着と責任感のあまりの違いに愕然とさせられた記憶があります。 欧米を旅していていつも感じることは、電線と電柱が殆ど見あたらないということです。観光地の町並みだけでなく、遠い山並みにも無粋な鉄塔や電線などが視界に入りにくいように実にうまく隠してあります。これは景観も自分たちが守るべき遺産であるとの考えを徹底してきた結果だと思います。 |
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6)木の文化 |
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私が卒業した小学校には、昭和初期の木造校舎がありました。今でも、木のにおいや感触を懐かしく思い出します。しかし、団塊世代のこどもたちが大量に就学年齢に達する二十年ほど前に鉄筋コンクリートの校舎に建て換えられてしまいました。こうした小学校の木造校舎の取り壊しは、全国規模で一斉に行なわれたようです。このことは、昭和初期の文化財とともに多くの人びとのふるさとを葬った行政の愚行として記憶されるべきでしょう。ふるさととは、ひとびとの記憶を再生する装置が残っている場所だといえます。したがって、戦後のわが国のようなスクラップアンドビルドの街作りでは、永遠にふるさとは生まれないのです。 | |||
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日本人が、「森林の恵み」を放棄して「石油と鉄」を資源にしたことは、20世紀後半に経済的な大繁栄を齎しましたが、同時に「日本の文化」と「日本人のこころ」を捨て去ることにもなりました。21世紀の今、私たちは「コンクリートと合成樹脂の文明」から「木の文化」へ回帰すべき時期にあると思いなす。天と地のあいだに介在した山と森の木々のたいせつな役割を思い出すことは、日本の文化と古人の知恵を取り戻すことにほかなりません。
さてお時間も頃合いとなりましたので、お話はこの辺で終わります。今回のフォーラムを通じて、ひとりでも多くの人たちが、木の文化について真剣に考えて頂けるきっかけになることを願っています。 私の講演は以上ですが、ここで私が企画編集しました10分ほどの映像詩をご覧頂きたいと思います。ことばは、日本に真言密教を紹介した空海、そして日本に初めて正式な坐禅を広めた道元と、西行や良寛の歌や詩です。空海や道元は、俗世と離れた山のなかに修行道場を開き、自分を見つめ、この世の本質を極める場としました。彼らの思想は、その後の日本人の死生観や自然観に決定的な影響を与えました。 お手許のパンフレットの解説をご覧になりながら、ゆったりとした気持ちで彼らの声に耳を傾けてください。 映像の準備ができるまで少し宣伝をさせてください。ご覧のような私の作品集やグッズ類を会場の外で販売して頂いています。この売り上げを、私の次にお話を頂く貝澤耕一先生が主宰されるNPO法人「ナショナルトラスト・チコロナイ」に寄付させて頂きたく思います。貝澤先生の活動にご賛同頂ける方は、ぜひお買い求めいただけるとありがたく思います。 では映像詩をお楽しみ下さい。 |
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