木魂が響く〜 西岡常一の遺徳を語る「木魂会」 |
王鷲幹雄/東京木魂会幹事 |
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飛鳥・白鳳の心と技を伝承した匠 人間国宝の西岡常一。
法隆寺の「昭和の大修理」、薬師寺の「白鳳伽藍復興」などを通して1300年前の工人から学んだ心と技を現代に具現した。最後の宮大工棟梁である。
西岡常一の業績や金言を通して飛鳥・白鳳の先人の知恵や工夫を学び、古代建築にまつわる心を学ぼうという集いがある。
「木魂(こだま)会」。
奈良に本拠をおき、西岡常一の遺徳を全国に発信しようと様々な活動を展開している。(下記の詳細参照)
木魂会では、縁者や西岡棟梁に直接、薫陶を受けた社寺建築の技能者たちから西岡常一の思い出や古寺建築の技術・材料、飛鳥・白鳳の歴史が語られる。
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なかでも鬼棟梁とも呼ばれた西岡に関する話題は魂に響く。
単なる建築論、職人の技術を超えた人としての生き様を考えさせられる。西岡は塔堂の建築という仕事を通して、自然への畏敬の念、古代先人の心を伝えようとした。
西岡の仕事ぶりは人生哲学でもある。宮大工を最後まで貫いた個性には、人の心を揺さぶる魂がある。
「塔組みは木の癖組み 人の心組み」
木魂会で頒布された色紙にも書かれている棟梁の有名な言葉である。
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堂塔の木組みは木の癖を利用している。北側に育った木は北向きの強さがあり、南は南の顔がある。木には一本一本にそれぞれ癖があり、その癖をうまく使えば建物はとても頑丈になる。
木の癖組みは工人の心も組むことでもある。そして工人の心を組むのは、匠長の工人への思いやりである。塔堂を建てることだけでなく、人を動かし組織を運営していくことの真髄を言い当てた。
「古いことでもいいものはいいんです」
「大量生産、規格と均一の世界から文化は生まれません」。
西岡は経験を信じず学歴を偏重していく現代日本の風潮を嘆いた。様々な分野で「職人」が消えていくことを惜しんだ。
作家の永六輔氏は「尺貫法を残そうという運動をしているときに西岡さんが(計量法違反で)『一緒に逮捕されましょう』と言ってくださったことが忘れられません」と思いをはせる。
「木は大自然が生み育てた命ですがな。木は生き物です。この物言わぬ木とよう話しあって、命ある建物に変えてやるのが大工の仕事ですわ」
西岡は木を通して自然を知り、古代人の自然への畏敬を学んだ。1300年前の飛鳥建築を通じて、飛鳥の工人の心を学んだだけに西岡の言葉は重い。
西岡という匠の言葉にふれると、飛鳥・白鳳の工人の息吹が21世紀に生きる我々に伝わってくる。これこそが「口伝」の重み。
「木魂会」は自然を畏敬した飛鳥・白鳳の心と技を探り、次代を考える会でもある。
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「木魂会」 詳細
木魂会の会長は、帝塚山短大名誉教授で奈良学研究家の青山茂氏。「木魂」の命名者でもあり、名著「斑鳩の匠 宮大工三代」で西岡常一を世に送り出した先生。さらに、西岡哲学を風化させまいと渾身の旗振りを務めるのが総括事務局長の海老澤博司氏である。
西岡棟梁の命日にあたる毎年4月には、棟梁ゆかりの薬師寺で「木魂忌」という法要を行っている。主催は西岡棟梁が晩年まで伽藍再興を務めた薬師寺(安田暎胤住職)と西岡棟梁の遺徳を後世に語り継ぐ会。西岡家や棟梁ゆかりの職人だけでなく、全国から西岡ファンが集い、西岡棟梁の残した功績、思いを語りながら偲んでいる。2005年は4月10日(日)薬師寺慈恩殿におよそ100人が集い、西岡棟梁ゆかりの人々がそれぞれの思い出を語った。
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2005年は没後10年という区切りの年でもあり、「口伝の重み」という西岡棟梁の決定版を出版するなど、さまざまな企画、催しが構想されている。
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王鷲幹雄
東京木魂会幹事
1954年 長野市生まれ
1978年 早稲田大学政治経済学部卒業
大学時代のサークル「古寺仏研究会」などの縁で奈良・京都など全国の社寺を研究中。
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